大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(ワ)2250号 判決 1980年10月24日

原告 石田寅雄

被告 山上千代子 外一名

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金三七七二万九三八〇円及びこれに対する昭和五二年三月二七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、原告において金一〇〇〇万円の担保を供することを条件に、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して金八四九四万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五二年三月二七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は大正一五年二月以来東京弁護士会に所属する弁護士である。

2(一)  被告山上千代子(以下「被告千代子」という。)は、昭和三九年一一月二八日、原告に対し、同被告と共同相続人である山上孝一郎(以下「孝一郎」という。)山上ふよ、山上富蔵を相手方とする被相続人山上音三郎(以下「音三郎」という。)遺産分割請求事件につき、訴訟委任をした。

(二)  その際、被告らが無資力であつたところから原告と被告千代子とは、右事件に要する一切の費用及び報酬につき、次のとおり契約した。

(1)  裁判上の諸費用、証拠調上の諸費用、旅費、日当等必要経費については、原告の立替払とする。

(2)  報酬については、被告千代子の遺産分割確定による取得価額の二割とする。ただし、被告千代子において、原告の責によらない解任をした場合又は和解、調停、取下、放棄、認諾の場合は成功とみなし、右全額を支払う。

(三)  被告山上荘治(以下「被告荘治」という。)は、右同日、原告に対し、右契約に基づき被告千代子が原告に対して負担する一切の債務につき連帯保証する旨を約した。

3(一)  そこで、原告は、当時ほとんど明確でなかつた被相続人音三郎の遺産につき、約三か月にわたり、都内各区役所、税務署等で種々調査した結果、音三郎は東京都内において八六筆に及ぶ土地、建物を所有していた事実が判明したので、昭和四〇年二月一七日、千代子の代理人として、孝一郎、山上ふよ、山上富蔵を相手どり、東京家庭裁判所に対し、音三郎の遺産分割審判の申立てをした(同裁判所昭和四〇年(家)第一八二〇号遺産分割事件)。

(二)(1)  右事件は、同裁判所において直ちに調停に付された(同裁判所昭和四〇年(家イ)第七四七号事件)。

(2) 右調停事件は、当初約二年、次回期日追つて指定後再度なされた調停が解任まで約二年続き、それまでに三九回の調停期日を重ね、その間原告又は原告と共同代理人である白取勉、原告の復代理人である藤井誠一が期日に出頭したが、就中、原告は、一八回の期日に出頭して事件期日経過表の次回期日請印欄に署名又は押印し、右署名又は押印はしなかつたものの、更に約一〇回の期日に出頭し、自ら又は他の代理人を指揮して事件の処理に全力を尽した。

(3) 本件遺産分割に関し、孝一郎は、昭和二七年、東京家庭裁判所に対し、調停の申立てをしたが(同裁判所昭和二七年(家)イ第八一四号調停事件)、四か年余を経過して、申立てを取り下げたのであり、本件調停事件も原告解任後三年三か月を経過した昭和四九年二月一日調停不成立となるなど、本件調停事件は、当事者双方共難しい人物であつて、難件であつた。

(4) 孝一郎は、音三郎の長男であり、永年本件遺産を独占管理していたが、原告が解任されるまでの間に本件調停期日に出頭したのは一七回にすぎず、原告代理人等の度々の調査訪問にも応じないばかりか、家庭裁判所調査官の訪問に対しても脳溢血といつわつて面会に応じようとせず、出頭しても相続財産特定のための協議には非協力的であり、相続財産の全貌は明かとならなかつた。

(5) そこで、東京家庭裁判所は、原告に対し、本件遺産全部に関する詳細な資料を提出するよう命じた。原告は、所轄法務局出張所、同税務事務所等においてその調査に従事したが、たまたま、孝一郎が被告千代子の承諾を得ないで本件遺産に属する更地の一部を東京都に賃貸していた事実が発覚し、原告が東京都及び孝一郎を追及し、刑事問題としようとするに及んで、ようやく、孝一郎は、本件遺産に関する賃貸借関係帳簿を閲覧させるに至り、本件遺産の全貌が判明するに至つた。かくして、原告は、相続財産調査資料(一)(六〇〇分の一全図面)、同(二)(相続開始後孝一郎が取り立てた賃料、賃料土地の増減、賃借人、転借人の住所氏名を記載した孝一郎所有の帳簿を撮影、複写したもの)、同(三)(右賃料の明細書)を作成し、全不動産の登記簿謄本、固定資産評価証明書と共に提出したが、この間数か月を要し、所要経費五十数万円を立て替え支出した。

(6) 昭和四三年一〇月一日から、前記のとおり、本件調停事件は再び進行し、昭和四五年一〇月一七日まで約二か年にわたり約二〇回の調停期日を重ねたが、その間、孝一郎は、相変らず時々欠席し、出頭しても調停委員の勧告に言を左右にして応ぜず、最後には、一旦調停案を承諾しながらその後これを拒絶するなどし、原告は、申立代理人として、孝一郎につき、家事審判規則七条一項による事実の調査及び証拠調をするよう申請し、更に相続財産管理人選任の申請をし、調停促進や過料の制裁又は審判請求についての上申書を度々提出するなど事件処理に尽力してきた。

4  しかるに、被告千代子は、何の理由もないのに、昭和四五年九月八日付及び同年一一月七日付各書留郵便で、原告に対し、前記訴訟委任を解除する旨の意思表示をした。従つて、原告は、本件報酬契約に基づき被告千代子に対し、成功した場合と同様の報酬請求権を有する。

5(一)  前記調停事件は調停不成立となり、東京家庭裁判所は、昭和五〇年一二月二二日、前記遺産分割事件につき、審判をしたが、被告千代子及び孝一郎が即時抗告をした結果(東京高等裁判所昭和五〇年(ラ)第七九七号、第七九九号事件)、東京高等裁判所は、昭和五一年九月二七日、原審判を取り消して自ら審判に代わる裁判をなし、右裁判は確定した。

(二)  これにより被告千代子の取得した不動産の価額及び遺産管理人より交付を受けるべき金員の合計額は金四億二二二一万円であるから、本件報酬契約に基づく報酬は金八四四四万二〇〇〇円である。

6  よつて、原告は、被告らに対し、連帯して本件報酬金八四四四万二〇〇〇円及び立替金の内金五〇万三〇〇〇円合計金八四九四万五〇〇〇円並びにこれに対する本件訴状が送達された日の翌日である昭和五二年三月二七日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認め、同(二)(三)の事実は争う。

3(一)  同3(一)の事実中、原告がその主張のとおり審判の申立てをしたことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)(1)  同(二)(1) の事実は認める。

(2) 同(2) の事実中、昭和四五年一〇月一七日まで三九回の調停期日を重ね、その間、原告又は弁護士白取勉、弁護士藤井誠一が期日に出頭したこと、原告が一六回の期日に出頭したこと、は認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 同(3) の事実中、本件調停事件が調停不成立となつたことは認める。

(4) 同(4) の事実中、孝一郎が音三郎の長男であり、永年本件遺産を独占管理していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(5) 同(5) の事実中、調停委員会の要請により、原告がその主張の相続財産調査資料(一)ないし(三)を作成提出したこと、孝一郎が被告千代子の承諾を得ないで本件遺産に属する更地の一部を東京都に賃貸していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(6) 同(6) の事実中、原告が、その主張のとおり、事実の調査及び証拠調の要請をし、相続財産管理人選任の申請をし、公平、敏速な裁判を要請する上申書を提出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同4の事実中、被告千代子が、原告主張の書面により、原告に対し、訴訟委任解除の意思表示をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

5  同5(一)の事実は認め、同(二)の事実中、被告千代子の取得した不動産の価額及び遺産管理人から交付を受けるべき金員の合計額が金四億二二二一万円であることは認めるが、主張は争う。

三  抗弁

1(一)  被告千代子は、昭和四五年九月八日、原告に対し、本件訴訟委任契約を解除する旨の意思表示をし、これにより右当事者間の事件は終了した。そして、本件報酬契約における受任者の責によらざる解任の場合は成功とみなし、全額を支払う旨の特約は、民法六四八条三項の規定に対する特約であり、従つて、中途解任された原告は、解任と同時に報酬請求権を取得するのであり、右報酬請求権及び立替金支払請求権の消滅時効は、右解除の意思表示がなされた日の翌日である昭和四五年九月九日から進行するから、民法一七二条により二年間を経過した昭和四七年九月八日をもつて右請求権につき消滅時効が完成した。

(二)  なお、原告は、昭和四五年一一月二七日、被告千代子を相手どり、東京都板橋区泉町三九番一畑八六二平方メートルの一二分の二の割合による被告千代子の共有持分について、仮差押命令の申請をし(東京地方裁判所昭和四五年(ヨ)第八九七七号事件)、該命令を得て、同日その執行を了したが、被保全権利は、遺産総額を金一億〇一四〇万二六二〇円と評価し、被告千代子の取得予定分を、法定相続分に従い、その六分の一である金一六九〇万〇四三三円とし、原告の約定報酬金を右の二割にあたる金三三八万〇〇八六円とし、右約定報酬金相当の期待権侵害による損害賠償請求債権三三八万〇〇八六円及び立替金返還債権五〇万円合計三八八万〇〇八六円の内金三〇〇万円とするというものであつた。しかし、原告は、昭和五二年二月二一日、右仮差押執行の取消しを申請し、同月二四日右執行は取り消されたから、民法一五四条により右仮差押えによる時効中断の効力は一切生じなかつたものである。

2  本件訴訟委任契約解除の意思表示は、次のとおり、原告の責に帰すべき事由によりなされたものである。従つて、原告は解任による報酬請求権を取得しない。

(一)(1)  原告が昭和三九年一一月二八日被告千代子から訴訟委任を受け、昭和四〇年二月一七日遺産分割調停の申立てをしてから、昭和四五年九月の解任に至るまで原告の行つた訴訟活動は極めて不十分であり、五年余りを経過しながら調停は実質的にほとんど進展せず、具体的な遺産分割案が提示できる状況ですらなかつた。

(2)  原告が五年余りで行つた訴訟活動の概要は次のとおりである。

(ア) 原告は、受任後名寄帳により被相続人の不動産に関する遺産総体を把握し、審判の申立てを行つたが、その際、戸籍関係を十分調査していないために死亡者山上ときを相手方とする誤りをおかした。

(イ) 昭和四二年に入り調停委員会からの要請で原告主張の相続財産調査資料(一)ないし(三)を提出した。

(ウ) 昭和四三年七月一八日付上申書で事実の調査及び証拠調べを要請し、あわせて公平・敏速な裁判を要請し、同月二五日付上申書で期日指定を要請し、同年一〇月一日付証拠説明書を提出し、同年一二月一七日付上申書で遺留分減殺請求権を行使したことを確認し、昭和四四年一〇月三日付証明書を提出し、同月一六日付けで相続財産管理人選任の申立てをした。

(エ) 昭和四三年七月前後、東京都板橋区泉町三九番一外の土地を孝一郎が被告千代子の承諾を得ないで東京都に貸し付けた行為について被告千代子の共有持分を明確にさせる処置をとつた。

(3)  以上のように五年余りを経過しても、不動産の貸借内容(期間、礼金、更新料の有無)、不動産の時価評価などが全く明かにされていないため、遺産総額を金銭に換算する作業も行われておらず、基本的な分割案さえ提案できない状況であつた。このことは、原告が解任された後遺産管理人となつた須藤静一及び浜谷知也の調査報告書(乙第一〇号証、第一二号証、第一九号証の一、第二一号証、第二二号証の一、第二三号証、第二七号証、第二九号証の一、第三〇号証、第三二号証、第三四号証)を見れば明かなように、原告が解任された後、膨大な資料収集が行われ、その中で一筆ごとの権利関係が明確になつてやつと全体の分割案が出てきたという事実自体から明かである。しかも、右管理人の調査が特別困難なものでないことは浜谷管理人の調査日数、調査書から明かである。

(4)  また、被告らは再三にわたつて原告に対し調停の促進方を要請しているのに、調停申立後昭和四三年一一月一二日まで孝一郎の出席を一回も確保することができないまま推移し、その後も調停の席で何ら具体的な分割案を討議することができなかつたことについての原告の責任は重大といわざるを得ない。

(二) 被告らが原告に不信感を持ちはじめたのは、原告自身が調停に出席する割合が少く、その代理として出席する弁護士は若くて経験がないうえ、次々と交替し、しかも引継ぎが十分でないため、調停作業が一進一退をくり返していたことにも大きな原因が存する。

調停期日は昭和四五年一〇月一七日までに三九回開かれたが、出席簿によれば、原告が一六回、弁護士白取勉が一三回、同矢田部三郎が一回、同亀岡宏が一一回、同藤井誠一が四回、事務員近藤一成が六回それぞれ出席したことになつているが、白取弁護士が出頭していた昭和四二年二月三日までは一八回の期日のうち原告が出頭したのは三回のみである。

また、弁護士登録の年は、弁護士白取が昭和三九年、同矢田部が昭和四一年、同亀岡が昭和四三年、同藤井が昭和四五年であり、いずれも弁護士登録後一年もたたないうちに事件処理を全面的にまかされた形になつている。その上、弁護士の交替については被告らにはほとんど知らされておらず、調停の場ではじめて交替弁護士を紹介されることが多かつた上、引継ぎが悪かつたため、最初からの説明を何度かくり返さざるを得ず、調停もそのため継続性がとぎれることが多かつたのである。

本件のように複雑でしかも膨大な事務処理を要し、しかも相手方が理不尽極まりない態度を示す解決困難な事件にあつては、依頼された老練な弁護士自身が一線に立つて処理すべきであつて、原告の態度は極めて問題といわざるを得ない。更に、原告自身不動産所在の現場を見たことはなく、現地を見たのは、弁護士白取が一回、同亀岡が一回という状態であり、これでは十分な訴訟活動ができなかつたといわざるを得ない。

(三) 本件では、第三者に貸与されている土地も多く、従つて収受さるべき賃料あるいは更新料・権利金も相当額にのぼつていたのであるから、早い段階から遺産管理人の選任を行い、その財産管理を適切に行うべきであつたのであり、また、家事審判規則一三三条による調停前の処分、仮差押・仮処分により、あるいは告訴・告発による摘発等により遺産の散逸を防止すべきであつたにもかかわらず、原告はほとんどこれらの処置をとらなかつた。このため、被告千代子が取分を逸した賃料・更新料等は膨大であり、また、孝一郎が第三者に勝手に貸与したため土地の財産的価値が低下した額も膨大な額に達している。

(四) 被告千代子は、原告に訴訟委任した際、相続時に遡つて遺産を分割するように特に要請したのにかかわらず、原告は、前記のとおり財産調査を十分に行わず、孝一郎の利殖行為を不問に付したまま、相続開始時に遡らない分割案を承諾するよう被告千代子を説得したが、これは委任の趣旨に反する不当なものといわざるを得ない。

3(一)  東京弁護士会報酬規定一八条によれば、家事審判事件の手数料金及び謝金は、受くべき経済的利益の価額を基準として、別表記載の割合により算定され、事件の内容により三〇パーセントの範囲内で増額することができるものとされているが、これによれば、経済的利益の価額が金四億二二二一万円である本件の場合、着手金及び報酬金は通常各金一四五一万一三〇〇円合計金二九〇二万二六〇〇円、三〇パーセント増額しても、各金一八八六万四六九〇円合計金三七七二万九三八〇円となるにすぎない。本件報酬契約の「取得高の二割」の約定に基づき原告の請求している金額は弁護士会の許容金額の倍以上にのぼる。

(二)  被告らは、本件訴訟委任契約を締結するにあたつて、弁護士報酬等については十分な説明を受けず、現実に謝金がどれほどの金額に及ぶのかも十分知らされないまま、契約を締結させられるに至つた。

(三)  右のように弁護士報酬規定よりはるかに高額となる本件報酬特約は、被告らの窮迫、無知に乗じて締結された不当なものであるから、公序良俗に反し、無効である。

四  抗弁に対する答弁

1(一)  抗弁1(一)の事実中、被告千代子が原告主張のとおり本件訴訟委任解除の意思表示をしたことは認めるが、主張は争う。民法一七二条の短期消滅時効は、事件終了の時から進行するものであり、本件のような解約による委任終了時から進行するものではない。

(二)  同(二)の事実は認め、主張は争う。

2  同2冒頭の事実は否認し、主張は争う。

(一)(1)  同2(一)(1) の事実は争う。

(2)  同(2) (ア)の事実は認めるが、直ちに訂正しており、本件調停事件の遅延と関係がない。同(イ)ないし(エ)の各事実は認める。

(3)  同(3) の事実は争う。

(4)  同(4) の事実は争う。

(二) 同(二)の事実中、昭和四五年一〇月一七日までに調停期日が三九回開かれたこと、右期日に原告、弁護士白取勉、同藤井誠一等が出頭したことは認める。原告が右期日に出頭して次回期日の指定をうけるために署名、押印したのは一八回であり、そのほかにも一〇回以上出席したが、一時間以上待つても孝一郎の出頭しないときは当然延期となるので、多忙な原告としては他の弁護士に一任して欠席したこともある。しかし、相当多忙な弁護士として、その法律事務所に一人ないし数人の弁護士を雇傭し、共同代理人又は復代理人として各事件を担任せしめることは一般の常識であり、本件では、原告が他の弁護士を同道又は指揮してその処理に全力を尽したものである。

(三) 同(三)の事実中、本件では第三者に貸与されている土地が多かつたことは認めるが、その余の事実は争う。原告は被告千代子から遺産分割事件の訴訟委任を受けたもので、多額の保証金を要する仮差押仮処分手続や告訴等の委任を受けたことはない。右事件受任当時は既に被相続人死亡後一四年近く経過しており、遺産につき種々調査したが、賃貸借の内容等については、孝一郎以外には、被告らはもち諭他の相続人も全然関知せず、しかも孝一郎は裁判所の命令にかかわらずこれを報告しなかつたところ、たまたま調停事件係属中、孝一郎が東京都に更地を賃貸したことが判明し、原告において、孝一郎や東京都を追及し、刑事問題化しようとするに及んでようやく、孝一郎は、賃貸借関係帳簿を原告に閲覧させ、賃貸借の内容等が判明するに至つたのであり、これにより原告が作成、提出した相続財産調査資料(一)ないし(三)は後になされた遺産管理人の調査の基本資料となつたものである。また、遺産管理人の調査報告書によつても、被告らがその後承認した更地の賃貸借及び原告に対する訴訟委任解除後東京都より土地収用法により買収された土地以外に処分された遺産はない。

(四) 同(四)の事実は否認する。昭和四四年一〇月三一日の調停期日においては、孝一郎の主張で、まず更地を六分の一に分筆して被告千代子に分け、それから、貸地を、借地人を各々分けて取分をきめることが検討されたが、その次回期日に、被告千代子は最も妥当な右案に同意せず、結局次回期日に夫の被告荘治を呼び出すこととされ、その呼出しがなされたが、結局出頭しないまま本件訴訟委任解除に至つたものである。

3  同3(一)ないし(三)の主張は争う。被告ら主張の弁護士報酬規定は昭和五〇年七月一日施行されたものであり、右施行の際、現に処理中の事件については、従前の例によるとされているところ、本件訴訟委任契約当時施行されていた東京弁護士会報酬規定(昭和三九年一月一日改正施行)によれば、家庭事件における手数料及び謝金の額は、いずれも目的の価額又は受ける利益の価額が金五〇〇〇万円をこえるときは、その五分ないし八分であり、特別の事情があるときは、規定にかかわらず、依頼者との協議により、手数料、謝金を増減することができるとされているのであり、被告も認めるような特別の事情のある本件においては、報酬額を取得高の二割とする本件報酬契約は、公序良俗に反するものではなく、有効である。

五  再抗弁

本件報酬契約は、その締結当時相続財産がほとんど不分明で、報酬額もあらかじめ金銭的に確定できなかつたため、相続財産全部を調査の上、調停成立又は審判確定により被告千代子の取得分が確定することを停止条件とし、その二割を支払うべき旨を約したものである。従つて、本件報酬契約に基づく報酬請求権の消滅時効は本件審判が確定した昭和五一年九月二七日から進行する。

六  再抗弁に対する答弁

原告の主張は争う。原告主張のように解すると、自己の責に帰すべからざる事由で解任された受任者たる弁護士はいつまでも報酬請求権を行使しえないこととなるし、委任者が訴え、調停の申立て等を取り下げ、あるいは放棄、認諾した場合や調停が不成立となつた場合には、取得高は零ということになるのであつて、受任者は事実上報酬請求権を喪失してしまうか、永久に請求権が発生しないという不合理な結果となるのであり、このような解釈は到底認められるものではない。本件報酬契約における、被告千代子が原告の責によらない解任をした場合は成功とみなし、報酬金額を支払う旨の規定は、その文言どおり、その事件の結果のいかん、その時期のいかんを問わず、右解任により、即時に成功したものとして報酬請求権を発生させると解するのが条理に合するのであり、その場合、取得高とは、事件の確定時において委任者が取得した額をいうのではなく、解任時における取得しうる額又は委任者が請求している額と解すべきである。そして、本件において被告千代子は音三郎の遺産につき法律上主張しうる割合による分割を求めたのであるから、成功したとみなすべき額は、法定相続分の割合により被告千代子の受けるべき右遺産の六分の一であり、弁護士報酬はその二割すなわち右遺産の三〇分の一ということになる。原告が昭和四五年解任されたときには遺産の全貌は判明していたのであり、報酬額は算定可能であつた。

第三証拠<省略>

理由

一  原告が大正一五年二月以来東京弁護士会に所属する弁護士であること、被告千代子が、原告に対し、その主張の訴訟委任をしたこと、原告がその主張の遺産分割審判の申立てをしたこと、右事件は直ちに調停に付され、昭和四九年二月一日、調停不成立となつなこと、右調停事件においては、昭和四五年一〇月二七日まで三九回の調停期日が開かれたが、その間、原告又は弁護士白取勉、同藤井誠一が出頭したこと、そのうち原告は一六回の期日に出頭したこと、相手方である孝一郎は被相続人音三郎の長男であり、永年本件遺産を独占管理していたこと、原告が、調停委員会の要請により、原告主張の相続財産調査資料(一)ないし(三)を作成、提出したこと、原告が、その主張のとおり、事実の調査及び証拠調の申請をし、相続財産管理人の申請をし、公平・敏速な裁判を要請する上申書を提出したこと、被告千代子が、昭和四五年九月八日付及び同年一一月七日付各書留郵便で、原告に対し、本件訴訟委任を解除する旨の意思表示をしたこと東京家庭裁判所が、昭和五〇年一二月二二日、本件遺産分割事件につき審判をし、これに対し、被告千代子及び孝一郎が即時抗告をした結果、東京高等裁判所は、昭和五一年九月二七日、原審判を取り消して自ら審判に代わる裁判をなし、右裁判は確定したことは、いずれも当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない甲第一号証、原告本人、被告両名各本人尋問の結果によれば、右訴訟委任契約締結の際、原告と被告千代子との間において、着手金は支払わず、印紙代、送達費用予納金、書類謄写料、証拠調費用、旅費、日当等は原告において立替払をする、謝金は取得高の二割とし、勝訴その他委任の目的を達したときは五日以内に支払う、受任者の責によらざる解任等の場合は成功とみなし、全額を支払うことを内容とする報酬契約が締結され、その際、被告荘治は、原告に対し、被告千代子の右契約上の債務につき連帯保証する旨を約諾したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  そこで、抗弁1について判断する。

被告らは、本件訴訟委任契約解除により生じる報酬請求権は解除と同時に発生するのであり、右報酬請求権及び立替金支払請求権の消滅時効は右解除の意思表示がなされた日の翌日である昭和四五年九月九日から進行するから、民法一七二条により二年間を経過した昭和四七年九月八日をもつて右請求権につき消滅時効が完成した旨主張する。

まず、原告主張の立替金支払請求権は、本件訴訟委任契約解除と同時に発生し、しかも期限の定めのない債権と解すべきであるから、右請求権についての消滅時効は右解除の意思表示がなされた日の翌日である昭和四五年九月九日から進行し、民法一七二条所定の二年間を経た昭和四七年九月八日の経過により右請求権につき消滅時効が完成したというべきである(なお、被告らは、原告が、昭和四五年一一月二七日、本件約定報酬金相当の期待権侵害による損害賠償請求債権三三八万〇〇八六円及び立替金返還債権五〇万円合計三八八万〇〇八六円の内金三〇〇万円を被保全権利として、被告千代子所有の不動産について仮差押命令の申請をし、該命令を得て、同日その執行を了したことを自認するが、原告が、昭和五二年二月二一日、右仮差押執行の取消しを申請し、同月二四日右執行が取り消されたことは当事者間に争いがないから、右仮差押えによる時効中断の効力は生じない。)。

次に、原告主張の報酬請求権について考える。

本件報酬契約における受任者の責によらざる解任の場合は成功とみなし、全額を支払う旨の特約は、民法六四八条三項の規定に対する特約であり、従つて履行の半途において解任された原告は、解除による委任契約終了と同時に右特約に基づく報酬請求権を取得するものと解すべきであり、しかも右請求権は期限の定めのないものと解すのるが相当である。

しかし、本件報酬契約における報酬額は、前記の如く被告千代子の取得高の二割と定められているところ、本件委任契約解除の時点では、被告千代子の取得高が確定されていないため、本件報酬請求権の数額は未確定といわなければならない。

このような数額未確定の権利は行使するに由ないものであるから、これについての消滅時効は権利発生と同時に進行するものではなく、右数額が確定したときから進行するものと解するのが相当である。すなわち、委任に係る遺産分割事件における調停成立又は審判確定により委任者の取得分が確定したときもしくは審判の申立取下げにより当該事件において委任者の取得分を確定することができないことが明かになつたときに報酬請求権の数額が確定し(後者の場合には申立取下時点において判明している相続財産を評価し、これに被告千代子の法定相続分を乗じてその取得分を推認するほかない。)そのときから消滅時効が進行すると解するのが相当である。

これを本件についてみれば、本件遺産分割事件につき東京高等裁判所がした審判に代わる裁判が確定したときに被告千代子の取得分が確定したものであり、そのときから消滅時効が進行するというべきである。

そして、本件訴えがそのときから二年以内に提起されていることは当裁判所に顕著なところである。

もつとも、右のように解するときは、自己の責に帰すべからざる事由により解任された受任者たる弁護士は、審判等の確定又は審判の申立取下げまで報酬請求権を行使し得ないこととなるが、報酬の額を委任者の取得高の二割というような不確定要因を含んだ方法により定めたものである以上、余儀ないところといわなければならない。被告らは、取得高とは解任時における取得しうる額又は委任者が請求している額と解すべきである旨主張するが、解任時において相続財産の範囲や遺留分減殺請求権の有無等が確定していない場合には、右のように解するときは、当事者のいずれか一方に不当な結果が生ずるのであり、右の主張は採用の限りではない。

従つて、被告らの抗弁1は、前提において既に失当であり、採用できない。

三  次に抗弁2について判断する。

抗弁2の事実中、原告が本件受任後名寄帳により被相続人の不動産に関する遺産総体を把握し、遺産分割審判の申立てを行い、昭和四二年に入り、調停委員会からの要請で原告主張の相続財産調査資料(一)ないし(三)を提出し、被告ら主張のとおり、事実の調査及び証拠調べ、公平・敏速な裁判の要請や期日指定の上申をし、証拠説明書の提出、遺留分減殺請求権行使の確認の上申書の提出、相続財産管理人選任の申立てをし、昭和四三年七月前後、東京都板橋区泉町三九番一外の土地を孝一郎が被告千代子の承諾を得ないで東京都に貸し付けた行為について被告千代子の共有持分を明確にさせる処置をとつたこと、昭和四五年一〇月一七日までに調停期日が三九回開かれたこと、右期日に原告、弁護士白取勉、同藤井誠一等が出頭したことは、いずれも当事者間に争いがない。

まず、被告らは、原告が昭和三九年一一月二八日被告千代子から訴訟委任を受け、昭和四〇年二月一七日遺産分割調停の申立てをしてから昭和四五年九月の解任に至るまでに原告の行つた訴訟活動は極めて不十分であり、五年余りを経過しながら調停は実質的にはほとんど進展せず、具体的な遺産分割案が提示できる状況ですらなかつた旨主張する。

前記当事者間に争いのない事実にいずれも成立に争いのない甲第三号証の一、第九ないし第一三号証、第一六号証、第二一号証の一ないし一〇、第二二号証の一ないし一四三、同号証の一四四の一、二、同号証の一四五、第二三号証の一、二、同号証の三の一ないし一九、同号証の四、第二四ないし第二六号証の各一、二、第二九号証の一、二、乙第三号証の一ないし二〇、第一〇号証、第一二号証、第一九号証の一ないし五、第二一号証、第二二号証の一ないし三、第二三号証、第二七号証、第二九号証の一ないし五、第三〇号証、第三二、第三三号証、証人須藤静一、同浜谷知也の各証言、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

本件遺産分割事件についての調停委員会による調停期日は昭和四〇年三月八日を第一回とし、昭和四二年二月三日まで一九回にわたつて開かれたが、相手方である孝一郎らは一回も出頭せず、ただ孝一郎の長男孝が事実上の代理人として八回出頭したにすぎなかつた。

調停委員会は、昭和四二年二月三日(第一九回)の調停期日において次回期日は追つて指定とし、家庭裁判所調査官今野保夫に全遺産の様相等につき事実関係調査を命じた。同調査官は原告に対し遺産に関する資料の提出を求め、原告は、事務員近藤一成らをして所轄法務局出張所、税務事務所等において調査せしめ、相続財産に関する物件目録、公図写からなる相続財産調査資料(一)(甲第二一号証の一ないし一〇)を作成し、同年八月一五日提出した。同年九月五日、調査は家庭裁判所調査官永井百合子に引き継がれ、同調査官は原告らと面接して提出資料の説明を受け、調査のため孝一郎らの出頭を求めたが、孝一郎は病気を理由としてこれに応じなかつた。そこで、同調査官は、同年一二月一三日孝一郎宅へ出張し、孝一郎及び同人妻マサに面接したところ、孝一郎は、亡父母は何らの財産も現金も残さず、土地でしか残さなかつたこと、相手方山上富蔵は分家、相手方山口ふよは結婚し、被告千代子は独身で女学校も孝一郎が働いて出してやつたようなものであるのに遺産分割に同意をせず、孝一郎は東京家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てたものの、(昭和二七年(家イ)第八一四号事件)、被告千代子が応じないため、申立てを取り下げたが、一日も早く解決して欲しいこと、更地は約二〇〇〇坪あり、賃貸している土地は九〇〇〇坪あり、平均地代は坪三〇円であること等を述べた。同調査官は引き続き原告らと連絡をとり、遺産の範囲と土地の賃貸借関係についての資料提出を促したが、孝一郎の協力が得られないため、原告らの調査は進展せず、昭和四三年六月下旬に至り、原告らから、なお土地の賃借人の調査を行い、報告するから暫く猶予ありたいとの申入れをした。

この間、昭和四三年五月一日、孝一郎は、東京都との間において、遺産たる土地の一部である東京都板橋区泉町三九番一畑八畝二一歩外二筆のうち二四一七・〇六平方メートルにつき、使用料月額平方メートルあたり四〇円、契約期間昭和四三年五月から昭和四四年一〇月三一日まで、ただし両者協議のうえ契約期間を伸縮することができるとの約定による板橋区清水町第二住宅建替事業に伴う仮設住宅敷地として一時使用の賃貸借契約を締結したが、これが同年七月に原告の知るところとなり、原告は、同月一八日付内容証明郵便をもつて東京都知事に対し工事中止を申し入れるとともに、孝一郎に抗議したところ、東京都担当官のあつ旋のもとに、孝一郎は原告あての昭和四三年七月二二日付念書をもつて、右の事実につき陳謝するとともに、今後は遺産分割調停事件に自ら出頭して協議に応ずるほか、遺産全部に対する賃借人、賃料賃貸期間、面積等を詳細報告することを確約し、右東京都との一時使用賃貸借契約の承認を求め、右特約に基づく賃料の取得についても協議する旨申し入れたので、原告は、同年七月二四日付承諾書をもつてこれを承諾した。そして、原告は、孝一郎保管中の帳簿につき、遺産たる土地のうち他に賃貸中のものの賃借人の住所、氏名、賃料の入金状況、賃貸土地の増減等の記載を撮影複写し、その内容を検討整理した書面を作成し、昭和四三年一〇月一日、東京家庭裁判所に相続財産調査資料(二)(甲第二二号証の一ないし一四三、同号証の一四四の一、二、同号証の一四五)、同(三)(甲第二三号証の一、二、同号証の三の一ないし一九)を提出した。

そして、新たに指定された昭和四三年一〇月一日(第二〇回)、同年一一月一二日(第二一回)、同年一二月一七日(第二二回)の各調停期日に孝一郎はようやく出頭した。この間、山上ときから参加人山上孝への遺贈に対する被告千代子からの遺留分減殺の成否について応酬が行われ、調停は進展しなかつた。更に調停期日は、昭和四四年二月一〇日(第二三回)、同年三月二四日(第二四回)、同年四月二八日(第二五回)、同年五月一六日(第二六回)、同年六月二三日(第二七回)、同年八月一日(第二八回)、同年九月一日(第二九回)、同月二九日(第三〇回)に開かれたが、右第二三回、第二七回、第三〇回の各期日には孝一郎は欠席した。この間、賃貸土地の内容不明などの理由で、全相続財産の評価額の六分の一の価額に相当する土地を被告千代子に分配する案が検討され、孝一郎は一旦これを承諾したが、後に態度をひるがえすに至つた。ところで、原告は、昭和四四年一〇月一六日、東京家庭裁判所に対し、孝一郎が、被告千代子の提出に係る遺産分割資料を検討しようともせず、前記のとおり東京都との間に土地一時使用の賃貸借契約を締結したり、昭和四二年頃板橋区泉町四〇番一の更地の一部上に次男山上勲の居宅を建築させ、更に昭和四三年頃に右土地上に裁松某に家屋を新築させて右土地を賃貸する等のことがあり、今後も残余の財産を処分するおそれがあることを理由に、相続財産管理人選任の申立てをした。しかし、昭和四四年一〇月三一日の調停期日(第三一回)において、孝一郎から、更地の六分の一を分筆して被告千代子に取得させるほか、貸地を借地人ごとに分割して同様に被告千代子に取得させるとの提案がなされ、調停期日外に原告らと孝一郎との間で協議することになり、被告千代子は相続財産管理人選任の申立てを保留することとなつた。かくて、同年一二月一日(第三二回)、同年一二月二四日(第三三回)、昭和四五年二月一七日(第三四回)、同年三月二四日(第三三回)、同年四月二三日(第三六回)、同年五月二八日(第三七回)、同年六月三〇日(第三八回)、同年九月一日(第三九回)、同年一〇月一七日(第四〇回)と調停期日が開かれ、右第三九回期日には当時被告千代子の内縁の夫であつた被告荘治が出頭した。しかし、被告千代子は、現状での分割に反対し、相続開始時の状況における分割を主張し孝一郎がこれに応じないときは審判にきりかえるよう、昭和四四年一二月二五日頃、原告に対し、申し入れ、これに対し、原告は、昭和四五年一月一二日付書面で、被告千代子に対し、右の提案については、調停委員も、法律上からも調停を成立させる上からもやむを得ない、ということになつたと説明し、種々説得につとめたが被告千代子らはこれに応ぜず、遂に、右第四〇回期日には被告千代子は出頭せず、復代理人弁護士藤井誠一が出席し、被告千代子側に代理人弁護士解任の動きがあることが報告され、同年一一月一四日、被告千代子から代理人弁護士を解任する旨の書面が提出されるに至つた。

その後昭和四五年一一月二八日から昭和四六年一一月八日までの間に第四一回ないし第五〇回の調停期日が開かれ、被告千代子はほとんどの期日に被告荘治とともに出頭したが、昭和四六年一一月二〇日(第五一回)から昭和四八年二月二六日(第六四回)までの各調停期日に被告千代子は出頭せず、夫である被告荘治が事実上の代理人として出頭したところ、孝一郎と被告荘治との感情的対立が激しく、右第六四回期日に調停委員会は当事者間に合意が成立する見込みがないと認めて調停手続を終了させた。

しかし、同年三月二七日、事件は再度調停に付され(昭和四八年(家イ)第一七九九号事件)、同月第六五回調停期日が開かれ、昭和四九年二月一日(第七二回)まで調停期日が重ねられたが、右第七二回期日において調停委員会は当事者間に合意が成立する見込みがないと認めて調停手続を終了させ、事件は再度審判手続に復した。

この間、東京家庭裁判所は、昭和四六年九月二七日、遺産管理人に弁護士須藤静一を選任し、速かに遺産を調査した上財産目録を調整し、提出を命ずる旨の審判をし、更に昭和四八年一一月一二日、遺産管理人に弁護士浜谷知也を選任し、速かに被相続人の遺産につき、不動産の賃貸借関係及び相続後の遺産の変動に関し調査し、報告することを命ずる旨の審判をした。遺産管理人須藤静一は、昭和四七年三月九日頃から昭和五〇年四月七日頃までの間に、第一ないし第五回報告書を提出し、一〇〇筆をこえる遺産である土地の状況(更地、貸地の別、賃貸借の内容)、孝一郎の地代収受状況等を報告し、遺産管理人浜谷知也は、昭和四九年二月一日頃から昭和五〇年三月一四日頃までの間に、第一ないし第五回報告書を提出し、遺産たる土地についての相続開始後の変動、賃貸借関係について報告したが、右遺産管理人らの調査に関しては原告の作成、提出した相続財産調査資料(一)ないし(三)の寄与するところは少からざるものがあつた。

なお、音三郎は昭和二六年三月一四日死亡したが、当時被告千代子は三四歳になつており、前途に対する不安から音三郎の遺産を分割取得することを主張し、孝一郎や母ときと気まずくなり、孝一郎は、相続人である山口ふよ、山上富蔵、被告千代子を相手方として、東京家庭裁判所に対し、遺産分割を求める調停を申し立てたが(同裁判所昭和二七年(家イ)第八一四号事件)、調停外において孝一郎とふよ及び富蔵との間に話合いが成立したものの、被告千代子との間では合意が成立するに至らず、昭和三二年五月一六日、孝一郎は右申立てを取り下げたという経緯があつた。

右認定事実に徴すれば、なる程昭和四二年二月三日まで前記調停事件は全く進展を見なかつたが、これは被告両名と感情的対立関係にあつた孝一郎が調停事件の進行に全く協力しなかつたためであることが明かであり、これを原告らの訴訟活動の不充分に帰因せしめることはできず、又原告が東京家庭裁判所から命ぜられた遺産の範囲と土地の賃貸借関係についての資料提出も、孝一郎の協力が得られないため、遅延したものの、孝一郎と東京都との前記一時使用の土地賃貸借契約締結を機縁としてなされた原告の訴訟活動により孝一郎をして賃貸借関係に関する帳簿を原告らに閲覧させるに至らしめたことにより、後に遺産管理人が行つな調査に少からぬ寄与をした相続財産調査資料(一)ないし(三)を作成、提出することができるに至つたのであり、しかも原告の右訴訟活動は、同時に孝一郎をして、調停事件に出頭して協議に応ぜしめるに至り、昭和四四年一〇月三一日の調停期日には孝一郎から現状における更地、貸地の六分の一をそれぞれ被告千代子に取得させるという提案をなさしめるに至つたものであることが明かであつて、原告の訴訟活動が不十分であるということはできず、他に、右認定を覆えし、被告らの前記主張事実を認めるに足る証拠はない。

次に、被告らは、原告自身が調停に出席する割合が少く、その代理人として出席する弁護士は若く経験がないうえ、次々と交替し、しかも引継ぎが十分でないため、調停作業が一進一退をくり返していたのであり、本件のような複雑困難な事件の処理としては原告の態度は極めて問題である旨主張する。

なる程、前記当事者間に争いのない事実によれば、昭和四五年一〇月一七日までに開かれた三九回の調停期日のうち、出席簿により原告が出頭したことが明かな期日は一六回に過ぎないことが明かであり、前掲乙第三号証の一ないし二〇によれば、ほかに、弁護士白取勉が一三回、同矢田部三郎が一回、同亀岡宏が一一回、同藤井誠一が四回、事務員近藤一成が六回それぞれ出席していること、昭和四二年二月三日までは一九回の期日のうち原告が出頭したのは三回のみであることが認められるが、前説示のとおり、昭和四二年二月三日(第一九回)の期日までは孝一郎の非協力により調停事件の進展が全く見られなかつたのであるから、この間における原告の調停期日への不出頭を責めるのは相当でなく、前掲乙第三号証の一〇ないし二〇により明かな如く、孝一郎が調停事件の進行に協力し、調停期日に出頭し協議に応ずるようになつた昭和四三年一〇月一日(第二〇回)から、参考人として被告荘治が呼出しを受けながら不出頭を重ね、調停事件の円滑な進行が危惧されるに至つたと思われる昭和四五年四月二三日(第三六回)まで、一七回開かれた調停期日のうち一三回の期日には原告は出頭しており、その間に実質的な協議がなされ、原告が出頭した昭和四四年一〇月三一日の第三一回期日には前認定のとおり孝一郎から具体的な遺産分割案が提案されていることが明かであつて、原告の調停期日への出頭状況は非難する由のないものといわなければならず、この点に関する被告の前記主張も採用できない。

被告らは、更に、本件遺産分割事件においては、早い段階から遺産管理人の選任、家事審判規則一三三条による調停前の処分、仮差押、仮処分、告訴、告発による摘発等により遺産の散逸を防止すべきであつたのに、原告はほとんどこれらの処置をとらなかつた旨主張する。

しかし、いかに感情的対立関係にある当事者間の事件とはいえ、当事者の互譲による円満な合意の成立を目的とする調停事件において、被告ら主張の措置をとるべきかどうか、仮にその措置をとるとしてどの段階でとるべきかは、調停事件の進行に対する相手方の対応を見ながら、調停の成否と絡めて、極めて慎重な配慮を要すべき事柄であつて、その後の経過から見て、そのような措置を早期にとるべきであつたと判断される場合においても、そのような措置をとらなかつたことをもつて一概に原告に過失ありと論難すべきものではないと解されるから、この点に関する被告らの主張もまた採用できない。

最後に、被告らは、被告千代子は、原告に訴訟委任をした際、相続時に遡つて分割するように要請したのにかかわらず、原告は、孝一郎の利殖行為を不問に付したまま、相続開始時に遡らない分割案を受諾するよう被告千代子を説得したが、これは委任の趣旨に反する不当なものである旨主張する。

被告千代子らが、前記の孝一郎の提案について、昭和四四年一二月二五日頃、原告に対し、右提案に反対し、相続開始時の状況における分割に孝一郎が応じないときは審判にきりかえるよう申し入れ、これに対し、原告が、昭和四五年一月一二日付書面で、被告千代子に対し、右の提案については、調停委員も法律上からも調停を成立させる上からもやむを得ないということになつたと説明したことは前記認定のとおりであり、前掲甲第二六号証の一、乙第三号証の一七ないし二〇によれば、原告は、右書面において、被告両名に対し、右説明に付加して、なお不明の点があれば昭和四五年二月一七日の調停期日に被告両名そろつて出頭するよう要請したが、右期日に被告荘治は出頭せず、同期日において、次回期日に被告荘治を参考人として呼び出すことが定められたにもかかわらず、被告荘治は、その後引き続いて開かれた四回の期日に出頭せず、ようやく同年九月一日の期日に出頭したものの、次回の同年一〇月一七日の期日には弁護士藤井誠一から被告千代子側における原告解任の意向が報告されるに至つたことが認められる。

しかし、弁護士たる訴訟代理人は、単なる受任者とは異なり、弁護士の使命に鑑み、単に委任者の意向に盲従することなく、その学識、経験と信念に基づき、自らが受任事件の処理について最もふさわしいと考えるところについては、これにそうよう、誠実に委任者を説得する職責を有するものというべく、永年にわたり感情的に対立していた当事者の関係を円満に修復するためには、審判による解決よりも調停による解決をよしと思料するに至つたときは、そのように説得するのが弁護士の職責に忠実な所以であるから、原告が被告千代子のあらかじめ表明していた意思に反して説得しようとしたことをもつて委任の趣旨に反する不当なものと論難することはできず、この点に関する被告らの主張もまた採用できない。

以上の次第で、抗弁2は採用できない。

四  進んで抗弁3について判断する。

成立に争いのない甲第三一号証によれば、本件報酬契約締結当時施行されていた東京弁護士会報酬規定では、家庭事件における手数料及び謝金の額は、いずれも目的の価額又は受ける利益の価額が金五〇〇〇万円をこえるときはその五分ないし八分であり、特別の事情があるときは、規定にかかわらず、依頼者との協議により、手数料、謝金を増減することができるとされていたことが認められ、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件報酬契約締結の際、被告らに対し、右報酬規定について説明をしなかつたことが認められるものの被告千代子本人尋問の結果によれば、被告荘治は、本件報酬契約締結の際、被告千代子に対し、報酬は、普通は目的の価額又は受ける利益の価額の一五ないし二〇パーセントであるが、費用立替えで委任するのだから二〇パーセントになると説明し、被告千代子も報酬が通例右のとおりであることは知つており、二〇パーセントは割高であると考えたが、不承不承、承諾するに至つたものであることが認められる。

右限定事実と前記認定の本件遺産分割事件の経過、その複雑困難性に鑑みるならば、本件報酬契約における報酬額の約定をもつて、被告らの窮迫、無知に乗じて締結された不当なもので、公序良俗に反するものとみることはできず、他に被告ら主張事実を認めるに足る証拠はないから、抗弁3も採用できない。

五  しかしながら、委任契約は、元来当事者間の信頼関係を基調とするものであり、他の契約関係に比し、信義誠実の原則がより強く支配するものというべく、従つて、受任者の責に帰すべからざる事由による解除を理由とするとみなし成功報酬支払の 特約に基づく請求についても、解除のよつて生じた事由、解除の前後における経緯に鑑み、信義誠実の原則に合致する範囲内においてのみ、認容されるものと解するのが相当である。

これを本件についてみるのに、前記当事者間に争いのない事実、前記認定事実に前掲甲第三一号証、成立に争いのない甲第二〇号証、同乙第四八号証を総合すれば、本件遺産分割事件は、原告が解除された昭和四五年一一月一四日以降、遺産管理人二名が新たに選任され、かなりの年月を費して詳細な調査報告がなされ、調停期日は原告が解任されるまでの回数のほぼ倍に近い七二回まで重ねられ、東京高等裁判所がした審判に代わる裁判は、最高裁判所が、昭和五一年一二月二四日、被告千代子の特別抗告を却下するに及んでようやく確定し、事件は終了するに至つたものであり、原告解任後更に六年の歳月を閲していること、原告が本件訴訟委任を受けた後現在に至るまでの間に東京弁護士会報酬規定の改正がなされていることが認められ、原告が解任されたのち前掲甲第三号証の一により明かな、現存する本件遺産の評価がなされた昭和五〇年五月までの間に東京都区部内における地価が昂謄したことは公知の事実である。

そして、前記認定事実によれば、被告千代子が原告を解任するに至つた最大の原因は、本件遺産分割事件の解決を調停に求むべきか、審判に求むべきかについて、原告と被告千代子との間において見解の対立を生じたところにあることが明かであり、調停により解決するよう説得した原告の態度が何ら非難されるべきものでないことは前のとおりであるもののこれに応ぜず、遂に原告との信頼関係を失い、原告解任の挙に出た被告千代子の所為も、事の当否はとも角、当事者としては誠にやむを得ざるところがあつたものといわなければならない。

前記認定の諸事実に右の事情を勘案するならば、本件報酬契約に基づく原告の請求は、当事者間に争いのない本件審判に代わる裁判により被告千代子が取得した不動産の価額及び遺産管理人より交付を受けるべき金員の合計額金四億二二二一万円を基に前掲乙第四八号証により明かな現行の東京弁護士会報酬規定により認められる最高限度の報酬額金三七七二万九三八〇円の支払を求める限度においては正当であるが、それをこえる部分は信義誠実の原則に反し認められないものといわなければならない。

六  以上の次第であつてみれば、被告らは、原告に対し、連帯して本件報酬金三七七二万九三八〇円及びこれに対する本件訴状が送達された日の翌日であること記録上明かな昭和五二年三月二七日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求は、右の限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口繁)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例